昭和41年03月06日 夜の御理解



 この前の日曜に、合楽の方の内殿、外殿の下に白砂を敷く御用を皆さんがされた。あの時には丁度お湿りがありだして、済んだと同時にお湿りが上がった。色々考えさせられる事があります。また、一週間後の今日、皆さん沢山の人が出られて奉仕されて、今日はそれとは反対に、あっちが済んだのはもう4時30分ぐらいだったでしょうか。もう5時近かったでしょうか。
 あれだけのトラックで、まあ5台か6台か、来とりましたでしょうが砂が。それを全部運び込んでしまって、終わった解散と後に降り出したと云う様なですね。この前とは言わば反対な事。椛目流義に言えば降りよっても、降りやむと云う様なおかげを頂いて行くのが大体椛目流儀ですけれども、ここにあの良しに付け、悪しに付け神様の間違いなさと言うものをね、お互い一つ色々そう云う様な中から、今度はこの前に凝りとりますから皆さんがもう腰々と町の方でも、服を着たりもんぺを持って来たりしてから。
 御用さして頂いておりました。もうこんにちは、日曜でも御座いますから、もう400・430名からのお取次ぎをさせて頂いておりますから、その四分の一の人が御用を頂いたと致してもやっぱ100名からの人が出ておる訳なんですね。そんな事をあれやら惟やらお礼を申させて頂いておりましたら、神様からのこの前のは、どじょうすくいと仰る、今度のは権兵衛が種蒔きゃと仰る。まあ、同じ様なそのあれは、あの踊りですよねいわゆる、ちゃんまいなんです。
 それも大体扮装がよく似てるですね、片一方はあの泥だらけになってから、どじょうすくいと言ういわゆるあらエッサッサッというやつです。あの権兵衛が種蒔きゃというのはやっぱりしょうけを同じ様な扮装ですね。それであの権兵衛が種蒔きなんです、いわゆるそのずんべらずんべらなんですね。そう云う様な事をお礼申させて頂きよったら頂いたんですけれども、そう言う様な事の中から本当に色々分からせて貰ますね。
 桂松平先生が御本部の御造営を思い立たられる時に、桂松平に付いて躍る者はと言った様な事を仰る。結局あれは、まあ、いうならここでは大坪総一郎に付いて皆さん躍っておられる姿なのですね。あぁ云う事がなされていきよると言う事は、今日は、小倉、熊本からまでも、丁度日曜日参って来る方達があちらへ行って、まあ、御用させて頂いておるですけれどもね。
 そう云う事の中から、この神様の間違いなさ厳しさと言った様なものを、又有り難さと言った様なものをまあ此の度の御用、今度の御用の中から感じる事が出来ます。どうぞ皆さんどう言う様な事を神様が言おうとしておられるだろうか。この前のいわゆるやすき節のどじょうすくい今度の御用は、いわゆるずんべらずんべらである所の権兵衛が種蒔きの踊りを、まあ、いうなら私に付いて踊っておるんだと言う事。なら私の伴奏しておる事がやっぱそれだという、踊っておるのが皆さんだと言う事になるのですけど。
 色々厳しく反省させられたり、まあ、流石に成程椛目だなあと言う風にもまあ思うのですけれども、一段と又おかげを頂きまして、それこそ、何時の御理解でしたですかね、松羽目をバックにと、いわゆる、桂松平先生の御信心をバックに頂いて、そのおり目正しい、それこそ、紋付袴で白扇をもって、きちっとした舞の舞われる様なおかげになって行かなければならんと言った様な事を感じましたですね。
      どうぞ。